15才と銀閣寺

中学校の修学旅行で京都・奈良を訪れた。
そのときに寺院で見た仏像に
当時15歳の私は
なぜだかわからないが心を動かされてしまった。

 

仏像に恋をしてしまったのである。

 

このとき他にも惚れてしまったものがある。
それは銀閣寺だ。

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↑ 冷蔵庫にはマグネットの銀閣寺が

 

 

修学旅行では数多くの寺社仏閣を巡った。
もちろん金閣寺も。

 

金閣寺銀閣寺。
予備知識もなく訪れたふたつの寺で
わたしの心に沸き上がった気持ちは全く別のものだった。




金閣寺を見た15歳のわたし
  ↓
「うわー!予想以上にピカピカしててなんか笑える!」(情緒性なし)




銀閣寺を見た15歳のわたし
  ↓
「・・・向月台ステキすぎる♥銀沙灘の迫力・・・シビれる!」
(月光を反射した砂利が仄暗くあたりを照らすだなんて・・・イカス)

 

 

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↑向月台にハートは鷲掴み

 

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↑銀沙灘の圧倒的な迫力が全身にきた

 

向月台(こうげつだい)と銀沙灘(ぎんしゃだん)
そして背後にそびえる月待山とのコントラスト(いま思えば借景)に
ノックアウトされたのだ。


本堂から見るこれらの景色を愛でながら
名月の夜に句会でもしながらパーティーしてたのか!

そういう想像がたまらなく血を沸き立てさせたのだ。



「わたしだってここで月夜を楽しみたいよ!」(15歳 心の叫び)

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↑わたしが将軍だったら・・・悔

 

 

その後、何度となく京都を訪れては
哲学の道をフラフラとさまよい
本堂の花頭窓(かとうまど)に惚れ惚れし
月夜の向月台に立ったときを妄想し
胸躍らせながらニヤニヤと佇むのを趣味としている。

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↑花頭窓に萌え萌え

 

 

向月台と銀沙灘、
じつは創建当時(1482年)には存在せず
江戸時代後期につくられたものだという。


長い年月をかけて変化していく建造物。
それが良いのか悪いのかは見解によって異なるが
少なくとも江戸時代にあの庭づくりをしてくれた人のおかげで
ただの中学生の心に「風流」を味わう喜びを教えてくれた。


江戸後期の庭師の人、本当にありがとう!
また訪れてはニヤニヤします!

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↑イメージ図

ボ・ガンボスはたのしい

高校受験を控えた時期に出逢い
大好きでよく聞いていた
ボ・ガンボス

 


ボ・ガンボス 魚ごっこ - YouT

↑「魚ごっこ」に当時なぜか共感

 

 

「魚ごっこ」というのは

おまわりさんに職務質問をされた男が
「おれはもうお魚なんだから名前もなんもない!」
というようなことをポリポリしながら宣言している歌だ。
(※個人的解釈です)



なぜ15歳女子に響いたのだろうかと思う歌詞世界ではあるが
いま思えばおそらく
「受験なんてやってらんないわ」
という気持ちと共鳴したのかもしれない。

 

 

 

そして10代の頃も大好きで共感した名曲「トンネル抜けて」

 

♪ 風が騒ぐ夜は 家へ帰りたくないよ

 

この出だしの一行に この曲の魅力が集約されている。(と、個人的には思う)

 


ボ・ガンボス - トンネル抜けて - YouTube

 

大人になった今あらためて聞くと 奥深い切なさがあふれている。

心に残る作品というものは書籍でも映画でも音楽でも

触れるたびにこちらの心情を反映し

いつでも新鮮な喜びと発見を与えてくれる。

 

 

ーーーとかなんとかいう小難しいことはおいといて

風が騒ぐ夜、このまま家に帰りたくないなぁ・・・

という気持ちになったことがある人は

この曲を聞きながら ビール片手に回り道でもして

夜空に浮かぶ月なんか眺めてみてはいかがでしょうか。

リアル薮の中

 


ペンローズの三角形 - YouTube

 

 

 高校生のとき
同じクラスの友人カップルに「恋の三角形事件」が勃発した。


そしてあれよあれよというまに
「恋の三角形の仲介役」という
やたら大変そうなポジションになってしまったことがある。


彼女(A)彼氏(B)割り込み系女子(C)
それぞれの話を聞くと


彼女(A)いわく
「ラブラブなわたしたちにCが割り込んできて大迷惑」

割り込み系女子(C)いわく
「彼氏(B)と私はすでに付き合っている。彼女(A)がつきまとっている」

彼氏(B)いわく
「なんかオレ・・オレ・・・モテてるぜーーーーー!

 

 

 

 

このとき三者三様の視点を聞いてわたしは思った。

「なるほど これはアレだ・・『薮の中』だ・・・」

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同じ場面で同じ体験を共有したとしても
受け取る本人の思考次第で褒め言葉が嫌味に聞こえたり
幸福が不幸に見えたりする。


「絶対的なひとつの事実」がどこかに存在するのではなくて
「それぞれの頭の中の事実」が人の数だけ存在するのだ。




ちなみに上記「恋の三角関係」のおもな要因は
Bくんのやたらポジティブな精神構造が原因であったと
いまならばはっきりわかるのだが
当時のわたしにとっては
「リアル薮の中・・・ 超めんどくさい」ということしかわからなかった。

 

 

 

■「恋の三角形事件」でわかったこと
・Aにとっての事実とBにとっての事実は違う
・真相はたいだい「すべての意見の真ん中あたり」に落ちている
・「リアル薮の中」は超めんどくさい

指輪物語で無限ループ

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指輪物語/J.R.R.トールキン (著), 瀬田 貞二 (翻訳) 」(評論社文庫)
  昭和62年発行の旧版デザイン。ガンダルフの威圧感…

 

 

 

うかつに指輪物語を読みはじめるのは危険だ。

なぜならエンディングまで読むとまたはじめから読みたくなってしまい、

えんえんと止まらない〝無限ループ〟に陥ってしまうからだ。

 

 


そこでなぜ無限ループが引き起こされるのかを考えてみた。

それはおそらく、初めて読んだときにエンディングで味わった、

あの感覚が忘れられないからだ。

 


息をもつかせぬ冒険の余韻のなかで

あんなに積み上げていた本のページは残り少なくなっていく。

 

『そして死ぬまで幸せに暮らしましたとさ』


もう、そうやって終わってあげて!
勝手に「旅の仲間」になっている頭のなかでそう叫びながら読み進める。
それなのに、そうあっけらかんとは終わらない。
「終わったような、終わらないような」ウロボロスのような世界観。

 

そしてこの「終わらない」という終わらせ方こそが無限ループの原因だ。

 

 

 


たとえば日常生活でいろいろあって

「いまは物語なんて到底読む気にならない」という心境のときもある。

それでもこの物語は変わらずに美しい。

その「変わらない」普遍性。

 

普遍つながりでいえば “音楽界の普遍番長” The Beatlesも(とくにジョンが)

指輪物語の映画化を熱望していたが、版権の事情で実現しなかった。

が、映画「HELP!」はリンゴの指輪をめぐるThe Beatles版の指輪物語

だと思うとそれはそれで結果的には良かったのかもしれない。

 


The Beatles Help! Movie Trailer - YouTube

 

ジョンはあの物語のどのあたりに取り憑かれたのかな?

と想像しながら読むと、また違う視点での旅がはじまる。

普遍でありながら読むたびに新たな発見がある、

それが名作の名作たる所以なのだからループするのも仕方がない。

 








無限ループこわい。











指輪物語をこれから初めて読む人へワンポイント

★ 一巻目の序章は読み飛ばしてOK
第1章「待ちに待った誕生祝い」から読むのがおすすめ。
なぜなら初見で序章を読んでもさっぱりわけがわからないので、ここで挫折する人が多数。最後まで読み終わってから改めて序章を読みはじめると、そこから先は「無限ループ地獄」があなたを待っています。

シュールなら負けないわ、ホドロフスキー

(前回の続き)

 

ヤン・シュヴァンクマイエルのことを考えるとき
数珠つなぎで思い出すのが、アレハンドロ・ホドロフスキーだ。

 

ホドロフスキーとはチリの映画監督 兼 漫画原作者 兼 タロット占い師…などなど
さまざまな肩書きを持つ人物。
私のホドロフスキー作品とのファーストコンタクトは
カルト映画として名高い「ホーリー・マウンテン」だった。

 

ホーリー・マウンテン
あれほど人を不条理感覚に迷い込ませる作品がほかにあるでしょうか。
あれを語る言葉を私は持ちません。
あれはあれです〝考えるな、感じろ〟のあれです。


魔術的シンボルと前衛芸術の洪水、そしてあのラストの唐突な衝撃。

 

※閲覧注意ーエグいのはイヤだわ、という方はお控えください


THE HOLY MOUNTAIN (1973) Trailer for Alejandro ...


こちらの記事によると

ホドロフスキーにとって、映画はただの映画ではない。
 それはつねに人生を変える経験でなければならないのだ」

(記事内より一部引用)

 


それにしても攻撃的過ぎますよねぇ、と 賛同を得たくなる
〝人生変えすぎおじさん〟ホドロフスキーシュルレアリストだそう。

 

シュルレアリスム

結局よくわからなかったので、最後に一句

 

シュルレアリスム
 つかんでみたら
 もぬけのから〟

チェコとシュルレアリスムの方程式

チェコってなんだか不思議な国だな、と昔から思っていた。
たいへん漠然とした印象なのは
自分のなかで「チェコ」に関する知識が乏しいためだ。

 


チェコのなにが不思議に感じたのかというと  それは〝人形劇〟だ。
人形劇って一枚ベールがかかっているというか
〝仮面性がおりなすメタファーの世界〟というイメージ。
一筋縄ではいかないぞ、という空気がムンムンしている。
四谷シモンの人形を見ればその異様度は明白だ)


チェコでは人形劇が盛ん。
そのことだけはなぜか昔から知っていた。
映画「マルコヴィッチの穴」で人形劇が出てきたときも
なんだかチェコっぽいなと思った記憶がある。


そんななかでもチェコの不思議を決定づけたのは
映像作家 ヤン・シュヴァンクマイエルさんによるところがおおきい。

 

 

 下の投稿でも触れているが

映画「アリス」/ヤン・シュヴァンクマイエル - 達磨と天狗のクロニクル

 

 

 

結局
シュルレアリスムって何なんでしょう?

 

 

 


ヤン・シュヴァンクマイエルのアリス 予告編 - YouTube


「そうだわ 忘れたら大変!
 目を閉じなきゃ。
 さもないと
 何も見えないのよ」


ヤン・シュヴァンクマイエルの映画「アリス」より)

地上の夜の村上春樹

イタリアの旅に出るときのこと。

 

「狭いエコノミーで12時間という長時間フライトに耐えうる本とはなにか?」

 

という検討の結果、手に取った作品が「海辺のカフカ(上・下)/村上春樹」だった。

 

それまでの勝手な著者のイメージは
ナルシズム・意味深だけどその意味がよくわからない
という散々なものだった。

 

しかし「海辺のカフカ」はそんな予想を遥かに裏切り
作り上げられた世界観の緻密さに入り込んでしまった。
謎と啓示が散りばめられながらも最後に集約していくさま。
海外でも高い評価を受ける理由がいったいどこにあるのか因数分解してみたくなる文体。

 


それから遡っていろいろな村上春樹本を読んだ。
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の
パラレル世界である “世界の終わり” では【壁】がキーワード。
【壁】といえば氏の有名なスピーチをすぐに思い出す。
(卵と壁ーー村上春樹氏 エルサレム賞受賞式典スピーチ)


壁、壁、壁。良い意味での壁。悪の象徴としての壁。
英国ミュージシャンのOASISは【壁】を

「WONDERWALL」=自分の最後の砦 として歌った。
村上春樹(←JAZZマニア)はきっとOASISとか聴かないんだろうな・・・

 


Oasis - Wonderwall (Official Video) - YouTube

I said maybe
You're gonna be the one that saves me
And after all
You're my wonderwall